高松高等裁判所 昭和39年(う)223号 判決 1965年4月30日
被告人 伴ノ内只吉 他三名
主文
検察官および被告人伴ノ内高一、同三崎清一の本件各控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、記録に編綴してある検察官斎藤正雄並びに弁護人小林劼作成名義の各控訴趣意書に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
検察官の控訴趣意第一点の1について。
論旨は、要するに、被告人伴ノ内只吉、同伴ノ内高一の本件公訴事実および被告人三崎清一の本件公訴事実中巡査部長南部和夫に対する公務執行妨害の事実に関し、原判決が公務の適法性を否定した点につき、事実誤認又は法令適用の誤りを主張し、原判決は、本件校具に対する占有権は小室地区民にあつたとして、町教委の校具撤収行為は違法であるとし、警察官が地区民を排除した行動は、町教委の右撤収行為の援助に過ぎないと認められるから、適法な職務の執行とは言えないとして、公務の適法性を否定した。しかし、(イ)本件校具の占有権は、小室地区民にはなく、興津中、小学校長にあつたもので、町教委の校具撤収行為は適法である。(ロ)又警察官の地区民に対するいわゆる排除行為は、警職法五条の制止行為ないし警告行為であつて、適法な職務の執行である。(ハ)かりに、警察官の右行為が客観的に適法性を欠く行為であつたとしても、警察官は右法条に基く適法な職務の執行であると信じていたのであるから、右は公務執行妨害罪の対象たる職務の執行であるといえる。(ニ)又かりに、町教委の校具撤収行為が違法であつたとしても、警察官の右職務行為の適法性が左右されることはない。従つて、原判決が公務の適法性を否定したのは、事実を誤認したか又は警職法五条もしくは刑法九五条一項の解釈適用を誤つた違法をおかしている、というのである。
よつて按ずるに、
(イ) 原判決説示の「無罪部分とその理由」第一の(1)に引用の各証拠を綜合すれば、原判決説示のように、小室地区民は古くより原判示の消防会館を事実上管理占有し、その会館内において本件校具を、部落解放同盟を中心とする同盟休校派の同地区民が約一ヶ月にわたり盟休生徒の学習に供するため事実上占有していたものであつて、右校具の占有権は同地区民にあつた事実が認められる。そして右占有権はもともと原始的事実的なものであるから、所論の、消防会館、校具の所有権、管理権の所属にかかわりなく、厳として右地区民に保有されていたものであつて、所論を吟味しつつ記録を精査し当審における事実取調の結果を勘考しても、これを否定することができない。さすれば、町教委が右地区民に対し校具の返還を請求する権利を有していたとしても、整然たる現時の国家形態においては、それは法的手段によるべきであつて、地区民の意思に反し実力に訴えてこれを撤収するが如きは、穏やかでなく、とうてい法の認容しないところであり、違法であるといわなければならない。(なおかりに、所論のように町教委の校具撤収行為が適法であつたとしても、そのため警察官のいわゆる排除行為が適法化されるものでないことは後述するところにより明らかである。)
(ロ)(ニ) 次に、原判決説示の「無罪部分とその理由」第一の(2)に引用の各証拠を綜合すれば、原判決説示のように、町教委が実力により本件校具を撤収する意図のもとに、撤収員を乗せたトラツクを消防会館附近に到着させ、方向転換して、後尾より序々に進行させようとするや、多数の地区民がこれを阻止すべく一斉にこれに接近したところ、警官隊はこれを排してトラツクを消防会館前に進行させて町教委の校具撤収行為を容易ならしめる目的のもとに、道路上に立ちはだかつていた地区民を後退させ、更に後退に応じなかつた地区民を排除したものであつて、警察官は、少くとも、トラツクが後尾より進行を開始した後は、警察活動の名のもとに故意に、町教委の撤収行為を援助したものであつた事実が認められる。そのことは、右証拠によつて認められるところの、警官隊は町教委が実力をもつて校具を撤収する決意であることを当初より予知していたこと、町教委が校具の撤収を強行するときは地区民との間に紛争発生の虞のあることが予想される状況にあつたが、これを予防するには、地区民を排するよりも、むしろ町教委のトラツクを退去させる方が簡明な措置であつて、それは、公平中正を旨とし個人の権利および自由の干渉にわたらないことを責務とする警察としては当然とるべき見易い方法であつたにもかかわらず、あえて一方的に地区民を後退させ遂にこれを排除していること、警官隊が排除しようとした消防会館前路上の地区民とトラツクとの間には警官隊一個分隊が配置され、更に臨機増援すべき百数十名の機動隊が要所を固めていたのであるから、警官隊に不当な実力行使のない限り、地区民が乗車中の撤収員等に対し自ら進んでは危害を加えるような状況ではなかつたこと等の事実に徴し否定すべからざる事実である。そして、記録を精査し、当審における事実取調の結果によつても、右認定を左右するに足るものがない。思うに、警察は公共の安全と秩序の維持に当ることを責務とし、その活動は右の範囲に限定され、いやしくも私法上の紛争に干与することは固く戒しむべきことであるから、警察官の右行動、殊に町教委の校具撤収を援助する目的で地区民を排除するが如きは、警察本来の責務を逸脱し、警察活動の濫用であつて、違法であり、最早これを目して、交通整理であるとか、警職法五条の制止行為ないし警告行為であると弁じる余地はない。なお、所論のように、警察官の本件排除行為の適法性は、町教委の校具撤収行為の適法であるか否かに直接に左右されないが、しかしそれは前記の理由によつて既に違法なのである。
(ハ) 又本件排除行為が適法性を欠くのは、前段説示のように、警官隊が不当な実力行使に出ない限り、地区民から進んで危害を加えるような状況にはなかつたのにかかわらず、警察官が警察本来の責務を逸脱し、町教委の校具撤収行為を援助する目的のもとに地区民排除の行動に出たからであつて、この場合、当時の客観的事実と警察官の主観的認識との間にそごがあつたとは認められないから、右排除行為を、警察官が警職法五条に基く制止行為であると信じたということはできず、従つて公務執行妨害罪の対象として保護さるべき職務の執行であるということもできない。
以上によれば、原判決が所論の公訴事実につき公務の適法性を否定したのは相当であつて、原判決には所論のような事実誤認も法令の解釈適用の誤りもない。論旨は理由がない。
検察官の控訴趣意第一点の2について。
論旨は、被告人伴ノ内只吉に対する公訴事実につき事実誤認ひいて刑法三六条の適用の誤りを主張し、原判決は同被告人の巡査朝倉徳喜世に対する暴行につき正当防衛を認めた。しかし、同巡査が同僚警察官と共に被告人の母親伴ノ内小春を排除した行為がかりに違法であつたとしても、被告人の同巡査に対する暴行は、右小春が排除され終つた後の行為であり、防衛する権利も意図もなく、母親が排除されたことに立腹し仕返し的になしたものであるから、正当防衛は成立しない、というのである。
よつて按ずるに、巡査朝倉徳喜世が被告人伴ノ内只吉の母親小春を排除した行為が違法であることは先きに説示したところにより明らかである。そして原審における証人伴ノ内小春に対する尋問調書および被告人伴ノ内只吉の原審公判廷における供述記載を綜合すれば、原判決が「無罪部分とその理由」第二の項において認定した如く、被告人只吉は、母小春が朝倉巡査等によつて排除されようとしたのでこれを防ぐため同女の腰に抱きついたところ、朝倉巡査によつて無理に引き離され、これを放すまいとする勢いが余つて同巡査に体当りするに至つた事実が認められ、記録を精査し当審における事実取調の結果によつても、右認定を覆すに足るものがない。さすれば、被告人の右行為は、母小春に対する違法な公務執行に対し、母親の権利を守るために止むことを得ずしてなした防衛行為であつて、正当防衛に当るものといわなければならない。従つて、原判決には所論のような違法はない。論旨は理由がない。
検察官の控訴趣意第二点について。
論旨は、被告人市川梅義に関し、原判決の量刑は、執行猶予を付した点において、著しく軽きに失し不当である、というのである。
よつて記録を精査して按ずるに、本件各犯行の傷害の程度等に徴すると、論旨も理解できないことはないのであるが、他面、本件は、同盟休校派である被告人と反対派である被害者等との間に盟休問題に絡んで熾烈な感情の対立があり、ことごとに反目論争するうち、被害者等が余りにも刺激的な悪口を発したため興奮の余り生じたものであること、被告人は右各犯行の当時いずれも飲酒していたこと、被害者市川丑一は被告人家と軒を接した近隣者であり、被害者松下晴男は小学校の同級生であつて、いずれも日頃は親密な間柄にあつたもので、盟休問題の解決に伴い被害感情も雪解の如く好転し、地区全体にも明るい光がさし始めていること、被告人は極貧であること等記録に現われた諸般の情状を考慮すると、原判決が被告人に対し罰金刑の執行を猶予したからといつて、その量刑が軽きに失するとは言い難い。論旨は理由がない。
弁護人の被告人伴ノ内高一についての控訴趣意について。
論旨は、要するに、原判示第一の事実につき原判決の事実誤認ひいて刑法三六条の適用の誤りを主張し、被告人は町教委の撤収員等の乗車していたトラツクへ近寄ろうとしたようなことはない、又巡査部長馬地幸雄の制止に憤慨したようなこともない。ただ、被告人は、警官隊に排除されて警戒線内に引き入れられたので、あわてて地区民のいる後方に戻ろうとしたところ、右巡査部長からこれを制止妨害されたので、これに抵抗したに過ぎず、同巡査部長の右制止妨害は被告人に対する違法な侵害であるから、被告人の右行為は正当防衛に当る、というのである。
よつて按ずるに、原判決挙示の関係各証拠を綜合すれば、原判示第一の事実が優に認められ、特に、巡査部長馬地幸雄は被告人伴ノ内高一がトラツクの方へ飛び出して来たので、手を上げて「止まれ」と制止を命じただけであるのにかかわらず、被告人はこれに憤慨し、同巡査部長の右手に飛びかかつてこれを引つ張る等の暴行に及んだ事実が認められ、記録を精査しても右認定を左右するものがない。そうすると、被告人は、立腹の余り同巡査部長に攻撃を加えたもので、防衛すべき権利の侵害があつたと言えないのはもちろん、防衛の意図に出たものとも言えないから、被告人の右所為は正当防衛とはいえない。原判決がこの点に関する弁護人の主張を排斥したのは相当であつて、原判決には所論のような違法はない。論旨は理由がない。
弁護人の被告人三崎清一についての控訴趣意前段について。
論旨は、要するに、原判示第二の(1)の事実につき原判決の事実誤認ひいて刑法三六条の適用の誤りを主張し、被告人は巡査部長南部和夫に積極的に体当りしたり又胸部附近を突きとばしたようなことはない。同巡査部長が同僚警察官と共に被告人等地区民を排除すべく前進したため、被告人は、これと対立していた多数の地区民に後から押され、自然同巡査部長と衝突するに至つたもので、同部長の被告人等を排除しようとした行為は、町教委の違法な校具撤収行為を援助する違法な職務の執行であるから、これに抵抗したとしても、被告人の行為は、同部長による排除ひいて町教委による校具の撤収を防ぐため己むなくなされたものというべきで、正当防衛に当る、というのである。
よつて按ずるに、原判決挙示の関係各証拠を綜合すれば、原判示第二の(1)、事実が優に認められ、特に、被告人三崎清一は地区民の最前列に居て警官隊と対立し互に押し合うような態勢になつていた際、前に居た巡査部長南部和夫に対し、未だ排除行為としての引き抜きもない段階であるのにかかわらず、憤激の余り「お前何しに来た帰れ」と怒号して同部長に突きかかり体当りをする等の積極的攻撃に及んだ事実が認められ、記録を精査しても右認定を覆すに足るものがない。さすれば、被告人は立腹の余り同巡査部長に攻撃を加えたもので、防衛すべき権利の侵害があつたと言えないのみならず、同部長による排除および町教委による校具の撤収に対する防衛の意図に出たものとも言えないから、被告人の右所為は正当防衛とはいえない。原判決がこの点に関する弁護人の主張を排斥したのは相当であつて、原判決には所論のような違法はない。論旨は理由がない。
同控訴趣意後段について。
論旨は、要するに、被告人三崎清一の原判示第二の(2)の事実につき原判決の事実誤認ひいて刑法三六条の適用の誤りを主張し、警官隊は、本件校具の撤収強行という目的のもとに、排除行為という実力行使はもちろんこれに伴う逮捕行為までも当初より流れ作業として予定していたのであるから、被告人に対する原判示の逮捕は、直接には南部巡査部長に対する暴行を理由にしていても、真の目的は町教委の校具撤収行為を援助することにあつたわけで、これが違法である以上、右逮捕もまた違法な職務の執行というべきであり、これに抵抗した被告人の原判示所為は正当防衛に当る。又被告人の南部巡査部長に対する暴行は前段主張の如く正当防衛であつたのであるから、これを理由とする被告人の逮捕は結局違法な職務の執行に帰し、この点からも、被告人の右所為は正当防衛といえる、というのである。
よつて按ずるに、町教委のトラツクが消防会館附近に到着し、方向転換して同会館に向い後尾より進行を開始した後は、警官隊は町教委の校具撤収行為を援助する目的のもとに地区民を後退させたり排除したものであることは先きに説示したところであるが、しかし、記録を精査しても、所論のように警官隊が出動の当初より逮捕行為までをも手段として町教委の撤収行為を援助する意図であつたとは認められないし、又所論の逮捕もまた町教委の校具撤収行為を援助することが真の目的であつたと認めるに足る証拠はない。所論は余りにも穿ち過ぎた立論であつて賛成し難い。又被告人の南部巡査部長に対する暴行が正当防衛に当らぬことは前段記載のとおりであるから、これが正当防衛であることを前提とする所論は失当であることが明らかである。従つて原判示第二の(2)の逮捕が違法であるとはいえず、これに抵抗した被告人の原判示所為が正当防衛となるいわれはない。論旨は理由がない。
よつて、刑訴三九六条一八一条一項但書同条三項により、主文のとおり判決する。
(裁判官 加藤謙二 木原繁季 加藤龍雄)
原審判決の主文および理由
主文
被告人伴ノ内高一を罰金五、〇〇〇円に、
被告人三崎清一を懲役二月に、
被告人岩本政信を懲役三月に、
被告人市川梅義を罰金二万円に、
被告人立石敏男を懲役四月に、
被告人山中勇を懲役四月に
それぞれ処する。
被告人伴ノ内高一、同市川梅義において右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。
ただし、本裁判確定の日から二年間、被告人等に対し右各刑の執行をいずれも猶予する。
訴訟費用は同被告人等六名に対しいずれも負担させない。
被告人伴ノ内只吉は無罪。
理由
(本件発生に到る経緯)
一、高知県高岡郡窪川町興津小室地区民のうち、部落解放同盟興津支部を中心として集まつた人々は、窪川町当局に対し、屡々、地区に対する福祉行政の徹底、強化を要求していたが、たまたま、昭和三六年四月、興津中学校勤務の教員で小室地区民と親しい交りのあつた国友源平教諭等の郡外転出の異動発令を契機として、差別教育の撤廃、同教諭等の転出反対、或は再転入等を求めて、要求貫徹のため、昭和三六年度中に三回にわたりその子弟の同盟休校を行なつた。
二、昭和三七年に入るや、同中学校長又川真久が、同校女教師に対し非行々為をなし、又部落民に対し差別教育をなしているとして、同町教育委員会(以下町教委と略称する)に対し同校長の処分を要求したが、町教委は同校長に対し論告処分に付したに留まつたため、処分が軽すぎると憤慨し、同校長を罷免するよう強く要求し、同年五月三〇日、同中学校に通学する子弟を先ず休校させ、更に六月六日からは興津小学校に通学する子弟をも同盟休校させ、休校者は小、中学校生徒を合せ百名を超えるにいたつた。
三、同盟休校が始まるや、同地区民は学校長等に対し小室地区子弟を除いてそのまま授業を続けることは差別教育であると主張し、これに対し盟休者を除いてでも授業の続行を求める、興津小、中学校下の郷、浦分地区の生徒、父兄等と種々の紛争が生じたばかりでなく、小室地区内においても部落解放同盟を中心とする盟休派と、同和会を中心とし子弟を犠牲にすべきでないと反対する反盟休派との対立が激化し、興津小、中学校をめぐつて不法事件の続発をみるにいたつた。そこで、窪川町教委は、同年六月二二日以降は、両校の授業を繰替授業とし、一時休日扱いとすることを決定し、両校は事実上休校状態に陥入つた。この間、県会議員団等を中心とする斡旋もなされたが、円満な解決を得るにいたらず、事態は何等の進展を見ないままに同年七月に到つた。そのため、窪川町教委は七月二日、興津小、中学校教員に対し、同月四日から正常授業を再開するよう指示した。
四、一方、小室地区盟休派父兄は、興津小、中学校から、盟休子弟の学習用として、机、椅子等の校具を持出し、興津小室部落所在の小室消防会館その他民家等に分散して、当初は右両校から派遣された教員を中心にして分散授業を行なつていたが、盟休が長期化するにともない、部落解散同盟興津支部長寺岡照義は分散授業の形式は同盟休校の実効性を得ないものと判断し、教員の派遣を拒否し、六月下旬以降は専ら盟休生徒の自習による状態を続けるにいたつた。
五、七月四日からの正常授業再開を決定した窪川町教委は、右再開に備えるため、長滝教育長、又川、浜口両校長の連名による文書をもつて、小室地区民に対し、右校具類の返還を要求したが、同月二日寺岡支部長から口頭をもつてその要求を拒絶された。そこで長滝教育長等町教委は正常授業再開と右校具撤収にともなう不法事態の発生に備えて窪川警察署長西川保に対し警察官の派遣を要請した。
六、かくて、同月四日午前六時三〇分頃、長滝教育長は校具類撤収の目的をもつて事務吏員等数名の者と貨物自動車に乗車し、同人の要請によつて出動した西川署長を隊長とする百数拾名の警官隊にその前後を守られて、小室消防会館前に到つた。有線放送等によつて右警官隊の到着を知つた小室地区民は同所に続々とつめかけ、警官隊のマイクとこれに対する日本教職員組合派遣の宣伝車のマイク放送が各々始められるや、同会館前路上は、「警官隊帰れ」の怒声や罵声が入り乱れて騒然となり、険悪な雰囲気に包まれるにいたつた。
(罪となるべき事実)
第一、被告人伴ノ内高一は、昭和三七年七月四日午前六時四五分頃、高知県高岡郡窪川町興津小室部落消防会館前路上において、小室地区民とともに前記西川保指揮の警官隊を押し返そうともみあつているうちに、警官隊の警戒線内に引き入れられたので町教育委員会の撤収員等の乗車していたトラツクに近寄ろうとしたところ、トラツクのかたわらにいた巡査部長馬地幸雄が右手をあげて「止まれ」と制止を命じたのに憤慨し、その右手を引張る等の暴行を加えて、同人に対し全治三日間位を要する右手関節部掻破創の傷害を負わせた。
第二、被告人三崎清一は、
(1) 前記日時頃同所において、警官隊ともみあいになるや、憤激のあまり、前面にいた巡査部長南部和夫に対し、両手を前に出して体当りをなし、同部長の胸部附近を突きとばして暴行を加え、
(2) 右犯行を右南部巡査部長の左右におつて目撃した巡査福島稔、同小倉智の両名から、直ちにその場において、公務執行妨害の現行犯人との認定の下に逮捕されようとするや、これに憤慨し、右両名に対し両腕を振り廻し体当りをするなどの暴行を加え、更に小倉巡査の左前腕部を爪で引掻く等の暴行をなし、もつて右両巡査の職務の執行を妨害するとともに、福島稔巡査に対し通院加療二週間位を要する左肩関節捻挫の小倉智巡査に対し通院加療三日間位を要する左前腕擦過創等の各傷害を負わせた。
第三、被告人岩本政信は、前同日午前六時五五分頃、前同所小室部落消防会館前路上において、高知県警察本部警備課技官樋口豊成が、その職務にもとづいて、前記警官隊と興津小室地区民との混乱の状況を、捜査上の必要から写真撮影しているのを認めるや、余計なことをすると憤慨し地区民数名の者とこれを取り囲み、新聞社の者か、警察の者かと問いただしたうえ、同人が警察の者だと答えるや、いきなり同人の下腹部附近を靴ばきのまま蹴とばす等の暴行を加え、よつて同人に対し安静加療一週間を要する腹部打撲傷、右前腕挫滅創等の傷害を与えるとともに、同人の職務の執行を妨害した。
第四、被告人市川梅義は、
(1) 昭和三七年六月二二日午後八時頃、同町興津二、二五五番地所在の隣家である市川丑一方において、同人が平素から反盟休派の中心となつて活躍していることに心良く思つていなかつたうえに、同人の妻等が自己の父親の悪口をいつていることに憤激し、同人に対しその行為を難詰し、口論のうえけんかとなるや、右手拳で同人の頭部、顔面等を数回にわたつて殴打する等の暴行を加え、よつて同人に対し安静加療二週間位を要する顔面及び頭部打撲傷、頸部挫滅創の傷害を負わせ、
(2) 同年八月一日午後七時前頃、右市川丑一方において、反盟休派の松下晴男と、盟休問題について口論となるや、憤激し、いきなり右手拳で同人の顔面を殴打し、よつて同人に対し安静加療二週間位を要する顔面挫滅創並に打撲傷等の傷害を負わせた。
第五、被告人立石敏男は、
(1) 昭和三七年九月一八日午後七時三〇分頃、同町興津浦分所在の国鉄バス興津車庫附近路上において、興津小、中学校の盟休問題をめぐる感情的対立から、同夜発生した反盟休派の松下晴男とけんかをして、負傷した盟休派の市川銀を、診療所からその自宅まで護送すべく、救護等の職務執行中の警察ジープを停車せしめ、運転手席にいた巡査西閑に対し、同巡査が盟休派の者に対して不当な弾圧をなすものと憤激し、同巡査の説得には何等耳をかさず、同巡査の制服上衣胸倉附近を掴んで数回にわたり前後にゆさぶる等の暴行を加え、もつて同巡査の職務の執行を妨害し、
(2) 更に、同日午後八時頃、小室地区民拾数名とともに同町興津浦分所在の興津巡査駐在所におしかけ、同所内に乱入し、勤務中の巡査沖良将に対し、同駐在所に盟休派からの暴行、脅迫を避けるために退避し、保護されていた松下晴男及びその妻久美等家族の者を引渡すよう要求し、口々に「晴男を出せ」「久美を出せ」と叫び、これを同巡査から拒否されるや、同駐在所板の間に上り込み、事務机附近にいた同巡査の制服上衣胸倉附近を掴んで前後にゆさぶり、或は引きずり上げる等の暴行を加え、もつて同巡査の職務の執行を妨害し、
た。
第六、被告人山中勇は、
(1) 昭和三七年九月一八日午後八時頃、前記被告人立石敏男等とともに、前記駐在所に押しかけ、松下晴男等を引渡すよう要求し、これを拒否されるや、被告人立石の前記(2)の暴行に引き続いて、巡査沖良将に対し、右同様、同人の制服上衣を掴んで数回にわたり前後にゆさぶる等の暴行を加え、もつて同巡査の職務の執行を妨害し、
(2) 右犯行後間もなく、右駐在所に警備のため派遣されていた窪川警察署勤務の巡査梶原正実外二名等が、混乱の防止、松下晴男等の保護等の応援のため、同駐在所に駈けつけ来たるや、再び同所内に乱入し、同所板の間に上り込み、これを阻止しようとした右梶原巡査に対し、同巡査の制服上衣を掴んで数回にわたつて前後にゆさぶり、或は襟元をつかんで強く下に押しつける等の暴行を加え、もつて同巡査の職務の執行を妨害し、
た。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人伴ノ内高一の判示第一の、同三崎の判示第二の(2)の、同岩本の判示第三の、同市川の判示第四の各傷害の所為は刑法第二〇四条罰金等臨時措置法第三条に、被告人三崎の判示第二の(1)の暴行の所為は刑法第二〇八条罰金等臨時措置法第三条に、同被告人の判示第二の(2)の、同岩本の判示第三の、同立石の判示第五の、同山中の判示第六の各公務執行妨害の所為は刑法第九五条第一項に各々該当するところ、被告人三崎の判示第二の(2)の、同岩本の判示第三の各傷害と各公務執行妨害の所為は一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから同法第五四条第一項前段、第一〇条によりいずれも重い傷害罪の刑によつて処断すべく、被告人伴ノ内高一、同市川については所定刑中罰金刑を選択し、同三崎、同岩本については各所定刑中いずれも懲役刑を選択し、被告人伴ノ内高一、同岩本についてはその所定の金額、刑期範囲内において処断し、被告人市川の判示第四の各傷害の罪、同三崎の判示第二の(1)の暴行と、(2)の各公務執行妨害、傷害の罪、同立石の判示第五、同山中の判示第六の各公務執行妨害の罪は、いずれも同法第四五条前段の併合罪の関係にあるから、被告人市川については同法第四八条第二項によりその合算額範囲内において、同三崎、同立石、同山中については同法第四七条本文、同但書、第一〇条を適用し、被告人三崎については判示第二の(2)の福島稔に対する傷害の罪に、同立石については判示第五の(2)の、同山中については判示第六の(1)の沖良将に対する各公務執行妨害の罪の刑に法定の加重をし、以上の刑期範囲内で処断すべく、被告人伴ノ内高一を罰金五、〇〇〇円に、同三崎を懲役二月に、同岩本を懲役三月に、同市川を罰金二万円に、同立石を懲役四月に、同山中を懲役四月に各々処し、被告人伴ノ内高一、同市川において右各罰金を完納することが出来ないときは、刑法第一八条により、金五〇〇円を一日に換算した期間労役場に留置することとし、犯情いずれも刑の執行を猶予するを相当と認め同法第二五条第一項により本裁判確定の日から二年間右各刑の執行をいずれも猶予し、訴訟費用の負担については同被告人等六名はいずれも貧困のため納付できないこと明らかであるから刑事訴訟法第一八一条第一項但書により負担させないこととする。
(無罪部分とその理由)
被告人伴ノ内只吉、同伴ノ内高一、同三崎清一に対する公訴事実の要旨は、
「昭和三七年七月四日午前六時四五分頃、高知県高岡郡窪川町興津小室部落消防会館前路上において、同町教育委員会職員等が同会館内にある同町興津中学校の机、椅子等の学校要具を撤収するに際し、前記職員等と前記部落の住民等との間に紛争発生のおそれがあつたので、同委員会の要請により警備に出動し、同町教育委員会職員等が乗車したトラツクが同会館前に近ずくや、住民等約一〇〇名が一斉にこれに接近し、道路を塞ぎ、怒号罵倒するなど右撤収員の身体に危険が切迫し険悪な事態となつたので、これが制止排除に当つていた
一、警察官巡査朝倉徳喜世に対し被告人伴ノ内只吉は、両手をもつて胸部を二回突き、体当りする等の暴行を加えて同巡査の職務の執行を妨害し、
二、警察官巡査部長馬地幸雄に対し、被告人伴ノ内高一はその右手を掴み引張る等の暴行を加えて同巡査部長の職務の執行を妨害し、
三、警察官巡査部長南部和夫に対し、被告人三崎清一は両手をもつて胸部を突きとばす等の暴行を加えて同巡査部長の職務の執行を妨害し、
たものである。」
というにあり、いずれも刑法第九五条第一項の公務執行妨害罪に該当するというものである。
以上に対する当裁判所の判断は次のとおりである。
第一、本件警察官等の公務執行の適法性について、
本件各公訴事実については、いずれもその外形的事実を認めることの出来るところであるが、公務執行妨害罪が成立するためには、公務の適法な執行に対するものでなければならず、当該公務員が公務を執行するに当り適法であると信じただけでは足りず一般的客観的に見て正当な職務の執行と認識し得るものでなければならない。そこで先ず本件については、証拠を総合して認められる事実についてその適法性の要件を検討する。
(1) 机、椅子等本件校具の占有関係
検察官は、机、椅子等本件校具の管理権占有権は、右興津中、小学校長にあり、町教委はその委任を受けて校具の撤収に行つたのであつて、これは正当な行為であると主張し、弁護人等は小室地区民が右中、小学校長から貸与を受けたもので、占有権は小室地区民に帰属し、町教委は警察官の援助の下に違法な自力救済を図つたものであると主張するので先ずこの点について判断する。
又川真久、浜口進の検察官に対する各供述調書、寺岡照義、斎藤繁徳、渡辺斉等の各証人尋問調書等を総合して認められる事実によれば、小室地区民は本件の同盟休校に入つた際、盟休子弟の人員に応じた数の机、椅子等を、五月三〇日、六月五日の二回にわたつて興津中学校から、六月八日には同小学校から運び出したものであるが、右運び出しに際し、右校具の管理者である両校長より正式の貸与を受けたものではなかつたことが認められる。そのことは、五月三〇日と六月八日の二回は又川、浜口両校長不知の間のことであり、六月五日は又川校長は、その持出を知りながらも、盟休側の憤激をかうことを恐れて、拒否しなかつたに過ぎず、その貸出を予め承認したものではないことに徴し明らかである。しかし、何れにしても、両校長とも事後この持出を黙認したことは、間違いない。この事実は、その持出が両校の教員等が生徒数に応じた机、椅子とその外に黒板等の教具をも適宜取揃えて車等への積み込みを手伝つてやつており、その持出は公然平穏に行われたものである点、それに過去三回にわたる同盟休校の際にも、本件と同様に校具が小室地区に搬出され、これも両校長によつて黙認され盟休終了と同時に各校に返還されたことがある点、さらに小室消防会館その他の民家に右机、椅子等が置かれた後には、六月二一日までは、教員が派遣されて同所等において分散授業の形による教育と校具使用がなされ、分散授業を拒否されてからの二二日以降は生徒たちの自習により机、椅子等の使用がなされていたこと等により明らかである。次に右校具の置かれている小室消防会館の管理についてみるに、野坂静雄、清水玉留の検察官調書によれば窪川町が所有しかつ管理するかのようにあるが、必ずしも明確ではない。その他の証拠によれば、同会館は小室地区民のみが、地区の会議や厚生施設として常時使用して来たものであつて、地区民の大部分の者は右会館が小室地区の所有に属するものと考えており、建築以来今日まで窪川町若くは町消防団において、同館の管理運営をした事実も明らかではないので、同館は小室地区民のみが現に管理占有していたものであると認めるを相当とする。そうして、同盟休校以降は、右会館内において、部落解放同盟を中心とする地区民の管理、指導の下に、派遣教員による教育若くは生徒による自習が行なわれていたものと認められる。
以上の事実関係によれば、本件机、椅子等校具の搬出が、民事上の使用貸借契約にもとずくものであるか否かは別として、ともかく管理者の黙認のうえに搬出されたものであり、それが小室地区民の管理占有する右消防会館内において保管されていたものであるから右校具に対する占有権は同地区民にあつたものと解される。六月二一日まで両校から教員が派遣されたとしても、それは盟休生徒に対する教育のためのものであつて、机、椅子等校具に対する管理のためのものではなく、この事実のみをもつて占有権が依然として校長に帰属していたと考えることは困難である。さればこそ、長滝武俊教育長も文書(昭和三七年押第一四二号の三)をもつて、その返還を要求したものであると解される。
(2) 本件公務執行の経過
そこで次に、本件警察官の公務執行は、町教委が机、椅子等の撤収にあたり、警察官職務執行法第五条にもとずいてなされたものであると検察官は主張するのでこの点について検討する。
長滝武俊の証人尋問調書によれば、町教委は小室地区民代表に対して前記のように文書をもつて机、椅子等を四日までに返還するよう七月二日要求したが、同日部落解放同盟の寺岡興津支部長から浜口小学校長に対して口頭をもつて拒否されたので、七月四日直接小室地区に赴いて撤収することを計画し、当日までに不法事態が種々と発生していたので、当日の身辺警固のために西川保窪川署長に警察官の出動を要請したことが認められる。
右調書と、西川保、山崎久、南部和夫、森田幸彦の各証人尋問調書、証人仁連澄彦、同朝倉徳喜世、同馬地幸雄の各供述及び当裁判所の検証調書を総合すると次の諸事実が認められる。即ち、右長滝教育長の要請を受けた西川署長は県警察本部に連絡のうえ、警察官二〇〇名位の派遣を求め、自ら隊長として機動隊を編成指揮して、同日六時過頃小室地区にいたつたこと、右機動隊中央部附近に長滝教育長等の校具撤収員が乗つたトラツクを置き、前後を警官隊によつて守りつつ進んで行つたものであること、消防会館の近くにいたるや、同会館前路上には続々と地区民が参集し、「警官帰れ」と怒声をあげ騒然たる雰囲気に陥入つたこと、警官隊は広報班のマイクによつて、「町の教育委員会が机、椅子を取りに来たから邪魔をしないで下さい、車を通して下さい。通さないと交通妨害になります。警察官に抵抗すると公務執行妨害になります。」との趣旨の放送をくり返していたこと、これに対し消防会館前に置かれてあつた日教組の宣伝カーからもマイクによつて「警官帰れ」の放送を続けていたこと、六時四〇分頃になるや、トラツクは消防会館の手前にある網干場に到着し、そこで回転して向きを北向に変え、トラツクの後尾荷台を同会館前に向けて序々に進行して行つたものであること、右トラツクの後尾の前面には警官隊二個分隊約二〇名位が配置され、山崎久中隊長の指揮で、整理にかかり、道路上の地区民に後ろに下るよう指示し、横に隊列を組んで、地区民を次第に背後に追いやり、トラツクの消防会館への後退進行を容易ならしめていたこと、右の状態にいたる頃には地区民も人数を増して人垣を作り、警官隊と身体と身体が触れあうような状態になり容易に背後には引き退かなくなつて来たこと、この段階にいたるや山崎中隊長は西川署長の指示にしたがつて排除を命じ、警官隊は地区民を実力行使をもつて強く押し始めたこと、これに対し地区民も押し返すような行動に出るにいたつたこと、ここにおいて警官隊と被告人等との間に本件事件が発生するにいたつたものであること、この間長滝教育長等撤収員はトラツク内から一歩も外に出ていなかつたこと、群衆の中からは時おり前夜の雨にぬれた砂や、石ころなどが投げつけられたりして、騒然たる状況になつていつた。
(3) 本件職務執行に対する法的判断
(イ) 先ず、町教委の本件校具の撤収について考えてみるに、本件校具は前説示のように、小室地区民の管理占有する右消防会館において、その児童生徒のため使用保管され、それについては、管理者たる両校長も結局事後承認をしていたのであるから、校具の現実の適法な占有は同地区民にあつたものである。
従つて同地区民の意思に反して、その会館内に入つて校具を撤収すること自体は違法な行為であること明らかである。
長滝教育長等が右消防会館は窪川町の建造物で、且つ、右校具たる公用物も、その管理者たる学校長の許可なく持出されたものであるとして、同地区民がこれを不法に占拠しているものと誤信していたことは明らかである。しかし、既にその返還が拒否されているのであるから、これを自力で取戻す場合は、当然混乱が予想されるのに拘らず、警察官の出動まで要請して、その撤収に行つたことは、授業再開のため必要があつたとはいえ、非難されてもやむを得ないであろう。ただし、右教育長等はその撤収が正当なものであると誤信していたのであるから、そのための行為が、未だ地区民の占有する会館敷地内へ不法に侵入したものでない限り、妥当な所為とはいえないが、違法となるものではない。
(ロ) 次に警察官の出動について考えてみる。興津地区には同盟休校問題をめぐつて既に不法事態が発生していたこと、そうして七月四日から正常授業を再開するにおいては、さらに、相当の混乱が予想されたので、西川署長が町教委からの要請により、警備のため機動隊を編成して出動したこと、機動隊が町教委の要請で、校具撤収員の身辺保護のため、撤収員と共に右消防会館附近まで同行したことは、右西川署長が校具撤収行為が適法なものでありと信じ、且つ、同地区民が激昂して撤収員に対し危害を加える虞れがあると予想していたのであるから、その警備のための出動行為自体は警察行為としての適法な職務行為である。
(ハ) さらに、本件における地区民の行動についてみるに、前説示のとおり、地区民は本件校具を消防会館において適法に占有しているものであるから、撤収員等が地区民の意思に反して、実力を行使して右会館に侵入し、校具を撤収する場合には、これを排除し防止することは、権利の防衛として正当な行為といえよう。
しかし、会館前の公の道路に多数集合して、立ち塞がることは、仮りに右校具に対する占有侵害が切迫していたとしても、それに対する防衛行為としては、その激昂の態度、官憲に対する憤懣の情が、洵に、異状であつたといわざるを得ない。
(ニ) さて、以上の判断にたつて、その後の警察官の行動につき考察するに、その行動の目的は、撤収員の乗つていたトラツクを右消防会館前へ進行させ、撤収行為を援助するために、道路上に立ちはだかつていた地区民を後退させ、その後退に応じなかつたところから、これを排除するの実力出動に出たものであつたといわねばならない。これが交通整理のために行われたものでないことは明らかである。
検察官は、その際、群集が怒号罵倒してトラツクに近接し、トラツク乗車中の撤収員の生命身体に危害の及ぶ危険が切迫し険悪な事態となつたので、その危険を排除するための警察官職務執行法第五条の所謂制止行為であると主張するが、それを認めるに足りる証拠はない。なるほど、群集が該道路に立ち塞がつてトラツクの後進して来るのを阻止しようとして興憤し、怒号していたことはあるが、群集とトラツクの間には警察官二〇名位が並んでいて、群集の方が警察官によつて後退させられていたものである。そうして、群集の方からはトラツクに乗車中の撤収員に対して進んで危害を加えるような状況ではなかつた。この点は、前掲諸証拠により明らかである。しからば、右警察官の群集に対する排除行為は、結局撤収作業行為の援助であるに過ぎないから、公務執行妨害罪における保護の対象となる適法な職務行為とはいえないこと明らかである。
西川署長初め警察官等が、その援助行為が、適法な職務行為なりと誤信していたとしても、そのために右行為が適法な職務行為となるものではない。
被告人三名が、それぞれ、警察官朝倉、同馬地、同南部に対して為した前記の各所為は、右警察官等の適法な職務の執行を妨害したものとは認められない。
第二、被告人伴ノ内只吉の行為について、
被告人伴ノ内只吉の行為について、公務執行妨害罪が成立しないことは右のとおりであるが、同人の巡査朝倉徳喜世に対する暴行々為が更に問題となるのでこの点につき考察する。
同被告人が朝倉巡査に対して両手で胸部を二回にわたり突きかかる暴行をなしたことは、証人朝倉徳喜世の当公判廷における供述及び被告人の供述によつて認められるところである。しかしながら右各供述と伴ノ内小春の証人尋問調書とを総合して考察すると、朝倉巡査は上司の指示に従つて、前記排除行為に移つた際、道路上におつた同被告人の母親伴ノ内小春を排除しようとしたところ、同女が頑強に抵抗したので、二、三人の同僚警察官とともに、同女を引きずり出そうとしたが、これを見た同被告人が「俺の母親に何をするんだ」といつて駈けつけて来て同女の腰にだきついて、同女が引きずられるのを防ごうとしたので、同被告人を無理に同女から引き離したところ、同被告人から体当りを受けたものであることが明らかである。右事実によれば、同被告人の行為は母親に対する違法な公務執行に対し、母親小春の権利を守るために止むことを得ずしてなされた防衛行為であつて、正当防衛にあたるものと解する。
よつて、被告人伴ノ内只吉に対する本件公訴事実は罪とならないものであるから、刑事訴訟法第三三六条によつて無罪の言渡をなすべきものである。
なお、被告人伴ノ内高一については、公務執行妨害罪の犯罪の証明は無かつたものであるが、前示のとおり傷害罪を認定したものであつて、両罪は一所為数法の関係にあるものであるから、主文において無罪の言渡をしない。被告人三崎清一については、公務執行妨害罪の証明はなかつたものであるが、同罪の内に吸収されている暴行罪については前示のとおり有罪と認定したものである。
(弁護人等の主張に対する判断)
一、弁護人等は、被告人伴ノ内高一の馬地幸雄巡査部長に対する傷害、被告人三崎清一の南部和夫巡査部長に対する行為はいずれも警察官の違法な執行による机、椅子等の撤収を防ぐためになされた正当防衛行為であり、被告人三崎清一の福島、小倉両巡査に対する公務執行妨害及び被告人岩本政信の樋口豊成技官に対する公務執行妨害については違法な職務執行に対する行為であるから罪とならないものであると主張するので、この点について判断する。
前記のとおり、警官隊の排除行為が公務執行妨害罪における保護の対象たる適法な職務執行行為でなかつたことは明らかであるが、それだからといつて、その他の職務行為(形式的意味における)が全て違法視されるものではない、この形式的職務行為が違法となるのは、相手方の権利その他正当な利益を侵害する場合等を考察して決しなければならないし、これに抵抗する行為も、すべてが正当視されるものではなく別個に検討されなければならない問題である。
そこで先ず、被告人伴ノ内高一の馬地巡査部長に対する行動であるが、同被告人に対する前示証拠を総合して認められる事実によれば、馬地巡査部長は、当時後進しようとしていたトラツクの東側路上において、山の手路地からトラツクの居る道路上へ地区民が入らないように警戒していたところ、同被告人がトラツクの方へ飛び出して来たので、危険に思い手をあげて「止まれ」と制止を命じたのに憤慨して、同巡査部長の右手にとびかかつてこれを引つ張る等の暴行をなしたものであつて、警察官に対する憤激のあまり攻撃的行動に及んだものである。同被告人は当公判廷において、当時警官隊が引いた警戒線内から外に逃れようとしたところを、つかまえられたので、もがいたにすぎない趣旨を述べるが、その事実を認めるに足りる証拠は存しない。右馬地巡査部長は、同被告人がトラツクの方へ行くものと思い単に制止したに止まり、取り押えたりした事実はない。したがつて、右巡査部長の所為は適法な職務行為ではないにしても、違法な侵害行為であつたとは判断されないから、これに対し、正当防衛の成立する余地はない。結局、同被告人に対する正当防衛の主張は認めることは出来ない。
次に、被告人三崎清一の南部巡査部長に対する行為であるが、同被告人も亦、前示認定のとおり、最前列に居て警官隊と相対立し、互に押し合うような態勢になつていた際、被告人は前に居た南部巡査部長に対し、お前何しに来た、帰えれと云つて憤激し、突きかかり体当りをする等の積極的、攻撃的行動に及んでいるものであつて当時、同巡査部長の行為が、適法な職務行為として評価されないからといつて、違法となるものではない、同巡査部長は、被告人等に対し、後退を要求し相対立していたが、被告人に手を掛けたこともなく、未だ排除行為としての引き抜きもない段階であつて、被告人の身体に対し不正の侵害をしたものではないから、被告人の右行為が正当防衛となるいわれはない。更に、同被告人の福島、小倉両巡査に対する行動であるが、右両名は同被告人が、再び体をしずめて南部巡査部長に体当りをしようとする態勢になつたのを認め、逮捕の必要性ありと判断してなされたものであり、当時両巡査が公務執行妨害の現行犯としての認識の下に逮捕したものであるのに対し、当裁判所は暴行と認定した差異はあるが、右は行為に対する法的価値判断の違いであつて、逮捕当時の両巡査の認識に一般人の見地から考えて著しい誤りがあつたものということは出来ず、その職務の執行は適法なものと解される。しかも、右逮捕行為に対し、同被告人の抵抗には著しいものがあり、通院加療二週間位を要する程の傷害を生ぜしめた程のものであつて、通常の逮捕行為に随伴する反抗の域をはるかに超えているものと認められるので、公務の執行を妨害するに足りる暴行がなされたものと解する。よつて同被告人に関してなされた弁護人等の主張も理由がないに帰する。
次に、被告人岩本政信の樋口技官に対する行為であるが、同技官の職務行為は採証のための写真撮影行為であつて、現場の状況をありのままに撮影することが目的であるから、その立場は捜査のためという主観的目的はあるとしても客観的、科学的な性格の強いものであり、前記のとおり排除行為が適法な職務行為として評価されなくても、同技官の行為には何等不適法というべき筋合はないものである。本件暴行は、同技官が一応の撮影を終つて車の方に帰ろうとした際になされたものであるが、当時同技官は、カメラを裸のまま手に持つており職務行為が完全に終つていたものとは考えられず、本件暴行々為によつてその職務執行が妨害されたものと解される。そうして同被告人の暴行々為に対し正当防衛を認める予地は全く存しないものである。結局同被告人に対する弁護人等の主張も亦採用できない。
二、最後に、被告人立石敏男は、本件犯行の際、飲酒酩酊のため十分に事理を弁識することが出来なかつたものであると主張するが、前記証拠を総合して認められる事実によれば、同被告人が、当夜、葬儀のふるまい酒に酔つていたことは明らかであるが、被告人の当時の言語、動作にいささかも判断能力を欠いていたと認められる点は存しないところであり、同被告人の検察官に対する供述調書によれば相当詳細に事理を認識記憶して供述しており、同被告人が当時心神喪失乃至は耗弱の状態にあつたということは認められない。
以上、弁護人等の主張はいずれも認めることのできないものである。
よつて、主文のとおり判決する。
(昭和三九年四月一四日、高知地方裁判所第二部)